成功するために必要なものと言えば努力と才能。
しかし、それだけではまだ足りません。そう、運が必要です。時流や周りの環境がその人を応援してくれているのかそうでないのか、それによって、同じように頑張っていても結果が大きく違ってしまうことがありますね。今回は不思議な運の力について、書評を読みながら想いを巡らしていくことに致します。
“あずきかぼちゃ”さんの『運』の書評には「成功者の『運がよかった】を真に受けてはいけない」と書いてありました。「自分で考えて楽しんで行動するから/運がよくなるし、成功すると考えます」。自己をしっかり保つことが運気向上には必要なのです。
“夏の雨”さんは『運命を切り開く因果の法則』の書評で「不作という結果しかもたらさなかったとして、そのことを嘆くよりも、その結果に至った原因に問題がなかったか(種や苗が不十分だったということも考えらえる)、育てる過程に問題がなかったかをさぐるべきだ」と、物事の結果には必ず原因がことを強調されています。因果関係を常に頭に入れておくことで運が開けることがあるかもしれません。
“星落秋風五丈原”さんから書評をいただいた『JAL機の懲りない人たち』は旅客機の乗客乗務員の苦労話を集めたノンフィクション。「いくら強運の星の下に生まれても、搭乗経験が多いので、数多くのトラブルに遭遇する確率は、当然私よりも遥かに高い。更に、私のように見知らぬ他人として、元凶から逃げる事はできない」。それはそうでしょうねえ。でも、苦労は多くてもやりがいのある仕事に就けたこと自体が強運の証ではないでしょうか。歴史上の人物の運・不運についてもみてみましょう。「ドイツからアメリカに亡命したフォン・ブラウンは、ようやく『兵器』でなく、ロケット研究ができる、と思ったが、今度は『米ソ宇宙開発競争』という”政治”に翻弄される。/が、フォン・ブラウンは『米ソ宇宙開発競争』を逆に利用して、ついにアポロ計画を成功させる」(
“Tucker”さんの『栄光なき天才たち2010』の書評)。「大失敗をおかす前には、失敗を防ぐ小さなチャンスがあるものなのだ。/そのささいな心のひっかかりに気づくことができるかどうかが、/まさに運命を分けることになるのかもしれない、と」(
“きゃべつちょうちょ”さんの『ヴァレンヌ逃亡』の書評)。目の前にあるものの現実的な意味を察知する抜け目のなさ。どうやらこれが運不運を分ける要因の一つになりそうです。そうとわかっていても逃れられない場合もあります。「それぞれに数奇な宿命に遭遇した李陵と蘇武は、それに抗うわけではない。/皮肉とも言える成り行きの中で、己の信じるままに生きた結果がそれぞれの生であった。/宿命を背負って、どう生きるか。結局それが歴史というものではないか」(
“ががんぼ”さんの『史記 6』の書評)。史記の豪傑たちには、ろ苦難や悲劇をむしろ引き受ける雰囲気すら漂います。さて、話題を転じ、次にご紹介するのは
“いえぽん”さんの『咲 Saki 1』の書評。麻雀をテーマにした漫画作品への書評です。「競技人口が多いことに加えて、単純な実力勝負だけではなく、『運』の要素も強いという独創性が、フィクションの題材としても幅と多様性を持たせることができた一因と考えられるのかも知れません」。なるほど、超人的な努力をウリにするスポーツ根性モノとは違うわけですね。そして、端的に運を良く良くするのに、お参りという手があります。
“悲しきメリケン粉”さんの『願いがかなう「お参り☆開運」の本』の書評には「神社にお参りするときは、神様に自分の名前・住所をきちんと名乗ろう、/その時『○○神社の大神様の、ますますのご開運がありますように』と添える」と書いてありました。皆さん、次にお参りに行く時にしっかり実行しましょう。
「運」というキーワードで書評を読みましたが、運を向上させるにはどうも日頃から努力が必要のようです。己を律し、周囲の状況の細かな変化に気を配り、感謝の気持ちも忘れない。運の強い人というのは、常にそれだけの準備ができていると言い換えることができそうです。運とは、長い時間をかけて、作り上げていくものかもしれません。でも、例外もあるようです。
“消印所沢”さんの『のらくろ一代記』の書評によると、「のらくろ」の漫画家となる田河水泡のもとへ「絵の師匠,運良く登場(p.71)」だそうです。運が天から降ってくるような人もいることはいるんですね。
<2015.11.13 TRCブックポータル書評担当 辻和人>